前回触れた世界大恐慌1929年米国発で世界に広がりました。
その時日本では民政党の浜口雄幸内閣の蔵相であった井上準之助は、
金解禁と緊縮財政によって通貨価値と為替相場の安定を図り、
同時に産業合理化を進めて国内物価水準を引き下げ、
輸出を伸長して国際収支の均衡を回復するという
緊縮財政政策を実施しました。
デフレ下の緊縮財政政策は現在の政府が行っていることです。
しかし、当時の日本は緊縮財政により、1930年3月以降日本経済は
深刻な恐慌に陥り(昭和恐慌)、1931年12月11日内閣が総辞職しました。
そして政権が交代し犬養毅内閣の蔵相に就任したのが高橋是清でした。
高橋蔵相は緊縮財政で疲弊した農村の救済を狙い積極財政へ転換しました。
高橋財政のおかげで日本は各国に先駆けて世界恐慌からの脱却に成功しました。
これは何とアメリカでルーズベルト大統領がニューディール政策を行うよりも
早かったのです。
そして、高橋是清は、どうもケインズの論文を見て参考にしていたようなのです。
この時の積極財政の財源は赤字国債の発行であり、国債の日銀引き受けでした。
そしてこれは、現在の藤井聡京都大学教授、森永卓郎氏、中野剛士氏の
勧めているMMTであり、れいわ新選組の政策です。
中野剛士氏がなぜ今積極財政が必要なのかを簡単に解説しているのが
「目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】」です。
わかり易く書かれているので是非ご一読されることをお勧めします。
「目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】」
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