デラ・クルーズ イングリッシュクラブ
無料体験レッスン
申し込み


購読無料まぐまぐメルマガ
ジュリータの英会話成功法

英会話力とビジネス力アップを支援し、あなたの人生を成功に導くメルマガ

メールアドレスを入力してボタンを押すと登録・解除ができます。

e-mail:

e-mail:
過去のメルマガ配信ページへ

受講生の声
吉崎有香さん DCECは必ず私の夢をかなえてくれると信じています。
吉崎有香さん

マネジメント
President 佐々木良介
President
佐々木良介

講師(ガヴァネス)紹介

Myles

スタッフ
五十島由美 笑顔が人気
五十島由美


5回完結無料メールセミナー「右脳と英会話」申込み

e-mail:


 

海外の文化を紹介します


"Let's enjoy English Together!"

英語でコミュニケーションとるためには、英語そのものばかりでなく文化を知る事が文化を知る事が役に立ちます。
DCECでは自然に英語に親しむために、普段のレッスンを離れて海外の祭日などを中心に海外の文化をご紹介して、それにまつわるアクティビティを実施しています。
 

毎月の実施イベント

 



    

ランタンフェスティバル(中国語ではユァン・シャオ・ジェ(元宵節)またはタン・チーと呼ばれます)は、旧暦正月を終えた後の、2000年の歴史を持つ中国の伝統です。このお祝いは中国太陰暦の最初の月にあたる15日に行われ、毎年それは変わります。光の源である提灯は、春の日々の延長を意味する伝統的な象徴となっています。提灯に灯された光は、神々しい魂を魅了し、式僧はそれらを見るのを許可されると言われています。祝典の間、人々は通り沿いや家の周りに紙提灯をぶら下げ、公園周辺やお寺の外へ提灯を運びます。提灯は龍や鳥、またはその他の動物の形をしたものもあります。人々は、悪い魂を近寄せないで、良い魂を呼び込むように提灯に縁起のよいフレーズを書きます。なかには、提灯になぞなぞを書いて、最初にそれを解いた人に賞品を与える人もいます。呼び物には、フォークダンス、ドラゴンパレード、獅子舞などの伝統的な公共パフォーマンスが含まれています。お祭りにちなんだ特別な料理には、ユァン シァオ(元宵)といった、もち米から作られた丸くて甘い中身のつまったゆでだんごがあり、それは家族の団結、完全、そして幸福を象徴しています。中国、台湾、アジア人移民コミュニティーでもこの祝祭をお祝いします。

DCECでは提灯に下がっているriddle(なぞなぞ)をラーナーの皆さんが選んで、答えを言ってもらいます。もちろん英語でね!

 

 

2月は、サンバの環境に浸りましょう。ブラジルのカーニバルの伝統にはカトリック信者にさかのぼるヨーロッパの要素があります。四旬節の初日の前に激しい衣装でのお祭りを始めたイタリアでは、この祭りは「カーニバーレ」と呼ばれており、その意味は「肉を片付ける」ということです。カトリックは四旬節の間は肉を食べないことになっています。イタリアのカーニバルはとても有名になり、ヨーロッパのカトリック国に広まりました。ポルトガル人の植民地になっていたブラジルは、おそらくカーニバルで最も知られているでしょう。仮面はカーニバルの衣装の重要な特徴です。神聖と世俗にまたがる生命において、仮面は重要です。羽根はしばしば仮面として使われ、髪を飾り、さらに病気、痛み、悲しみや問題を克服する人間の力の象徴にもなります。休みの期間には普通魚料理が出されます。ブラジルとカリブのある地域では、鮫の料理がとても人気です。

Lent〔キリスト教〕 四旬節, 大斎節, 受難節, レント Ash Wednesdayから Easter Eveまでの日曜日を除く40日間; 荒野のキリストを記念して節食や断食またはざんげを行なう; Lent 期間中の第5日曜日を Passion Sunday, 最後の日曜日を Palm Sunday といい, Easter 前の一週間が Holy Week でその金曜日が Good Friday

.
Ash Wednesday(灰の水曜日 《四旬節 Lent の初日; カトリックでこの日に懺悔(ざんげ)の象徴として頭に灰を振りかける》.

Easter復活祭, イースター (キリストの復活 the Resurrection を祝う祭; 春分321日以降の満月の後の最初の日曜日(満月が日曜日ならその次の日曜日); 日付は不定だが, 早くて322, 遅くて425日でこの日を Easter Day Sunday という)

Palm Sunday( しゅろの主日 (復活祭直前の日曜日; 聖書「ヨハネ伝」によるとキリストが受難を前に Jerusalem に入った日であり, 信者はその通り道にシュロの枝をまいてキリストを迎えた).

Good Friday(受難日, 聖金曜日 《キリストの受難記念日, Easter の前の金曜日, Scotland は公休日 bank holiday); 米国では法定休日とする州もある》.

 

 

 

Saint Valentine's Day

バレンタイン・デーと聞いてみなさんはまず何を思い浮かべますか?愛?お花?キューピッド?それともホワイト・デーのお返し?思い浮かべるものが何であれ、このバレンタイン・デーは確かに、話したりシェアしていただいたりする価値があるものです。今月、DCECでは、2月10日〜16日まで1週間にわたりクラス内でのアクティビティーとしてバレンタイン・デーをお祝いしたいと思います。フリーチャットのあいだに聞いていただくバレンタイン・デーの起源のひとつとして知られる話に、みなさんも魅了されること間違いなしです。さらに、このアクティビティーへのご参加の一環として、みなさんには、「心の中にあるもの」について何かお話ししていただきます。

 

The Origin of Saint Valentine's Day

バレンタイン・デーはローマ帝国時代に始まりました。古代ローマでは、2月14日は、すべてのローマ神の女王であり、女性と結婚の神であるユノを称えた祝日でした。その翌日の2月15日は、 豊年を祈願する(清めのお祭りでもあります)ルペルカリア祭の始まる日でした。

若者たちの慣習のひとつに、このルペルカリア祭前夜にローマの娘たちの名前が紙切れに書かれ桶に入れるという名前引きというものがありました。若い男達はそれぞれに桶から娘たちの名前が書かれた紙切れを引き、祭りの間、男達が選んだ娘とパートナーとして一緒にいることになっていました。ときにはそのペアの関係が一年中ずっと続き、そのまま恋に落ちて後に結婚するということもしょっちゅうでした。

ローマ帝国皇帝クラウディウス2世の下、ローマは数々の戦争に加担していきました。この残忍なクラウディウスは軍の兵士を集めるのに苦労を要しました。男達は愛するものや家族を残して去りたくないものだと信じていたからです。結果、彼はローマでの婚姻を全て禁止するよう命じました。善良な聖ヴァレンタインは当時ローマの司祭でした。彼は、クラウディウスに捕まり死刑されるまで、密やかに恋人達を結婚させ続けました。彼は270年ごろの2月14日に殉教者となりました。当時、それは異教の神を称えた祭、2月のルペルカリアをお祝いするローマの慣習となっていました。

ローマの初期キリスト教教会の牧師たちは、乙女達の聖人の名を代わりに使うことで、こうした異教の要素を排除しようとしました。そして、ルペルカリア祭が2月中旬頃に始まる時期に、牧師たちは、聖バレンタインデーとしてこの新しい祭をお祝いするようになりました。そのため、このように若い男達がバレンタインに若い娘を、または新しい年の守護聖人を選ぶこの慣わしが起こったようです。

 

(Note:This is just one version of the origins of Valentine’s Day celebration)

 

 

 

 

 

セントパトリックデイ

3月17日にアイルランドに行ったら、皆さんは聖パトリックデイの伝統的なお祝いを体験することでしょう。アイルランド人は、朝だけでなく午後にさえ礼拝に出席し、パレードを見、ダンスしたりお酒を飲んだり、伝統的なアイルランドのベーコン&キャベツの特別なごちそうを食べたりします。アイルランドの後援者聖徒である聖パトリックは、キリスト教の最も広く知られる人物の一人なので、人々はこの日を宗教的に考えています。パトリックが432年にアイルランドにたどり着いた時、彼は、人々をキリスト教に改宗させることを説得しようと、アイルランドで最も力のある上王タラに立ち向かいました。王は感銘を受け、パトリックの申し出を受け入れました。

しかしながら、もし皆さんが同じ日にアメリカに行けば、伝統的パレード、それはイギリス軍に仕えていたアイルランド兵士が1762年3月17日にはじめてニューヨーク市中を行進したものですが、に加え、もし皆さんが緑色のものを着ていなければつねられます。聖パトリックが三位一体(キリスト教の唯一の神は、父なる神(the Father)と子なる神(the Son)と聖霊(the Holy Ghost)の3つの人格を持っていて、しかも3人の神ではなく1人の神であるということ)を説明するために三つ葉のクローバーを用いたため、緑色はこの日の色となりました。緑色はまた、希望と自然とに関係がある春の色とされています。

 


 イースター(復活祭)には2 世紀の聖なるお祝いという考え方があります。しかし、最初、それは元々異教徒のお祭りでした。古代サクソン人は春の再来を子孫の女神、春の女神、イーストレなどを記念する大騒ぎのお祭りで祝っていたのです。2世紀にキリスト教の伝道師がこの異教のお祭りをする北の部族に出会った時、彼らをキリスト教に改宗させようとしました。それは成功しました。ただし、秘密のやり方で。

イースターバニー

それが起こった時、イースターの異教徒のお祭りは、キリスト復活の儀式と一年の同じ時期に行われました。そのため、改宗がゆっくりと勝利し、キリスト教の祭典にするために祭り自体が変わる意味を成しました。古い名前、イーストレ(Eastre)がついには現代のつづり、イースター(Easter)に変わったのです。

春の卵の交換は、何世紀も前の、キリスト教徒によって最初にイースターが祝われた時からの習慣です。最も古い時代から、多くの文化において卵は復活のシンボルでした。卵はしばしば金の葉で包まれるか、または農民なら葉っぱやある花の花びらと一緒にゆでることで明るく色が付けられました。今日では、子供たちは色の付いた卵を探して、現代版の本物のイースターエッグ−プラスティックやチョコレートキャンディで作られた物、と一緒にそれをイースターバスケットの中に置きます。

※復活祭, イースター キリストの復活 the Resurrection を祝う祭; 春分321日以降の満月の後の最初の日曜日(満月が日曜日ならその次の日曜日)。 日付は不定だが, 早くて322, 遅くて425日でこの日を Easter Day Sunday という。今年は327日にあたっていました。 それまでの40日間は四旬節 Lent とよばれます。
イースターは キリスト教徒にとってクリスマスとともに重要な祝祭日; パレードや色を塗った卵が付き物です。


デラ・クルーズでは、ラーナーの皆さんにアートワークに取り組んでいただきました。
みなさん、すごくクリエイティブですよ。どうぞご覧下さい。

    

生徒さんの作ったイースターエッグ 生徒さんの作ったイースターエッグ
生徒さんの作ったイースターエッグ
生徒さんの作ったイースターエッグ




■5月のアクティビティ Beltain

アイルランド人やスコットランド人のようなヨーロッパ人により5月1日に行なわれるBeltainは、ケルト人の行事が起源です。アイルランド語では、「Bel」は「光や輝き」を、「tene」は火を意味します。この時期には生命が再生されます。動物は子供を作り、新しく植えられた種から植物の芽が育ち始めます。現代の式典では花やリボンで飾られたメイポールという柱の周りでダンスをし、花や植物を交換し、家々や納屋(物置)、他の建物などをサンザシのようなみどりの木の枝々で飾り付けます。なかには、友人や寝たきりの人、恋人などのドアの踏み段にこっそりメイバスケットを置いてプレゼントする人もいます。また、甘いクルマバソウから作られたメイボウルパンチも振舞われます。大きな焚き火が、肥沃の神Belenosをたたえ灯されます。人々はその季節の豊かさを表すため、焚き火を跳び越えたり、そこを通って体を動かしたり、焚き火のまわりで時計回りにダンスをしたりします。子供が授かるようにと願う多くのカップルは一緒に大がまを飛び越えます。

DCECでは、5月8日〜14日まで、DCECニアンの皆さんに花や葉のプリントされた服を着ていただくか、リース(花輪)か何かで着飾っていただきたいと思います。ロビーやクラスルームは草花やあるいはそれらの絵や写真が飾られる予定です。また、ロビーでは生命・自然・火のスピリットを象徴する音楽を聴くことでしょう。レッスン前後には、ガヴァネスがラーナーの皆さんをロビーに集めアクティビティーの意味とやり方をご説明し、その後皆さんには「Beltaineの振り付け」をお教えしますので、ロビーの焚き火あるいは炎セットのまわりで踊っていただきます。

 

 

Happy Mother's Day

Mothering Sunday
イギリスのMothering SundayMother's Dayともよばれますが、アメリカのMother's Day
とは全く関係がありません。イギリスではLent(四旬節)の第4日曜日に催されます。
1600年代、多くのイギリスの貧しい人々が裕福な人々のために召使いとして働いていました。たいていの仕事は彼らの家から遠いところにあったので、召使いたちは雇い主の家に住んでいたものでした。その頃には、誰でも1年に一度は自分のmother 教会に変えることが重要とされていて、その日が、また、家族の再開の日ともなっていました。
マザリング・サンデーの日、召使いたちは休みをとり、帰る道すがら野に咲く花やスミレなどを摘んで教会やお母さんへの贈り物としました。また、「マザリングケーキ」と呼ばれる特別なケーキもその日にもたらされました


Mother's Day
アメリカでは、母の日は、1872年にジュリア・ウォード・ハウ(リパブリック讃歌の歌詞を書いた人物)により平和にささげる日として初めて提案されました。1907年、フィラデルフィア出身のアナ・ジャービスは国として母の日を設立するようキャンペーンを始め、彼女の教会に頼んで、彼女の母の亡くなった記念日、5月の第二日曜日を祝うよう説得しました。1914年には、ウッドロウ・ウィルソン大統領が、毎年5月の第2日曜日に行われる母の日を国民の休日と宣言しました。
デンマーク、フィンランド、イタリア、トルコ、オーストラリア、ベルギーといった国々もまた同じ日に母の日をお祝いします。

 

Sankt Hans Aftenとは、「夏至の前夜」とよばれ、デンマークやノルウェーで、6月23日の前日に祝われます。スカンジナビア人は、浜辺や湖のそばで大かがり火をたき、ピクニックしたりやお酒を飲んだりして集まってこの日をお祝いします。デンマークでは、16世紀と17世紀に教会で魔女が火あぶりにされたことの追憶として、かがり火でわらでできた魔女を燃やします。
  もともと、夏至祭りが行なわれるようになった由来は、夏至の時期の自然界は、人間、植物、大地、木々においての感覚がピークに達し、泉さえ太陽とその地点からのエネルギーで満ち、この日を境に日照時間と日光が徐々に減少していくにつれ全ての蓄積された自然のエネルギーが低下していくだろうという異教の信仰からきています。異教神秘主義者にとってそれは、田舎へ出かけて調合薬に使うハーブや植物を摘むのに最適な時期でした。もう一つの儀式は家畜を葉、小枝や花でできた特別な飾り付けで飾り立てることでした。これは家畜を邪悪な精霊の侵入から守るために、農民たちによって信じられていました。キリスト教がデンマークへ普及されていった後、異教のしきたりは追いやられ、代わりに人々は、ともに集い大かがり火を燃やすことが、自分達の土地や動物に悪を与えるかもしれない邪悪なスピリットや魔女を近づけさせない良い方法だろうと信じる傾向にありました。中には、この夜が田舎にある多くの神聖な泉や湖の中のひとつに訪れるのに良い時だと証明してくれると信じる人もいました。それはその水がその夜にとても特別な癒しの特質をチャージするとされているからでした魔女
  20世紀になると、かがり火のてっぺんに魔女に模した人形をはるのが一般的になりました。時を経て、かがり火をたく伝統は、より支配的になり、人々が暖かい焚き火のまわりに集まることの居心地の良さを好むようになるにつれて、他の儀式は徐々になくなっていきました。歌や曲は常にこの伝統の一部でした。最近のサンクト・ハンス祭りの慣習は、最近の高校の卒業生が焚き火に集まり、彼らが授業で使ったノートをその火の中に投げ入れ、通常、夏休みに入る前最後のパーティーを楽しむことです。

 

 

 

 Asaha Puja Day” in Thailand

Asaha Puja Day

「アサハ プジャ ディ」は、仏教において、特にタイでは最も神聖な日の一つで、6月の15日目に行なわれます。これは2500年以上前、ベナレスのディアパークでブッダが彼の5人の弟子に初めての説教をした日を祝うものです。説教の中で、ブッダは「中道」について話しました。これは、私たちは十分に一生懸命やってみなければならないがやり過ぎるべきではないという意味です。現在まで、この祝日中には家の掃除をする、旗を掲げる、また宗教的な儀式のために祭壇を設置したりといった家族でのたくさんの活動があります。家族のメンバーは罪を慎み、破滅の道を減らすために「中道」を指導原理として家族で問題を話し合います。祈りのほか、彼らは家族の活動としてだけでなく学校の活動として寺院の周りのロウソクの行列に参加します。学校では教師と生徒がこの宗教的祝日にポスターか絵の描いてあるノートを用意して展覧会を開催します。彼らはまた生徒達がエッセイコンテスト、ダーマ(ダーマ−仏教における永遠の真理)クイズプログラムを組織する手助けをし、それでこの日の重要さを述べる機会を得るのです。

仏教の僧侶は茶色かえび茶、それからサフラン色の2つの色合いの法衣を身につけます。前者は森に住む僧のため、後者は都市の僧のためのものです。そのため、DCECでは、6月15日から21日まで、皆さんにちょっとオレンジ色(私たちは都市にいますので)の入ったものを身につけて頂きたいと思います。さらにロビーとクラスルームではカラフルなキャンドルが見られるでしょう。フリーチャットの間はこのアクティビティの意味について話し合う予定です。もしあなたが仏教の教えをご存知でしたら、クラスでシェアしてください。

 


    

 


■8月のアクティビティ  Quintana

Quintana

 

 

 

 

 

 

 

 

8月7日〜13日まで、イタリアのアスコリ市のQuintanaクインターナをお祝いします。

Quintanaは、アスコリ市の馬上槍(やり)試合のことで、イタリアの東中央に位置するマルケ州で行われている本物に忠実で、エキサイティングな中世の催し物のひとつです。この催し物は、8月の第1日曜日にメイン広場で行なわれます。その日は、およそ1,400人もの町の人々が15世紀の衣装を身につけて大規模な行進をし、たくさんの催し物が行なわれ、野外で食事ができる出店が立ち並びます。色とりどりのパレードは、ヴェンティーディオ・バッソ広場を出発し、人民広場、アッリンゴ広場、ヴィットリオ通りを通過します。パレードに参加する人たちはみな、力強いドラムロールの音に合わせて行進します。ときどき空に向けてクラリオントランペットを鳴り響かせ、それを合図に休憩します。その昔、Quintanaは、アッリンゴ広場でその地区の守護聖人エミディオの栄誉を称え、祝祭の終わりに行なわれていました。この大規模な祝祭は、市民がゴート人、ビザンチウム人、サラセン人を撃破したアスコリ歴史の輝かしい時代を思い出させるものです。

この行事全体のハイライトは、町の6つの地区から選ばれた騎手によるサラセン*馬上槍試合です。槍を持った騎士は、盾を片手に、もう片手には鎚矛(つちほこ)を持ったムーア人*の形で動く標的をめがけて突きます。動く受け板が回転する間、騎士は、サラセンの片手にある鎚矛での攻撃を避けながら、槍でもう一方の盾を突きます。騎士にはそれぞれ盾を突くチャンスが9回あり、勝ち点がその騎士の地区へと与えられます。その後、町政府役員を代表する高等行政長官により勝者地区へ賞が贈られます。

 

* サラセン−イスラム教徒、特に十字軍の時代のそれ。
* ムーア人−8世紀にスペインを侵略したイスラム教徒のひとつで、15世紀末まで続いたアンダルシアに文明を築いた。Ascoli=アスコリ市、Piceno=ピチェーノ県、Marche=マルケ州
Joust=馬上槍(やり)試合、nomadic tribes 遊牧[遊動]民族、

 

 

 

 

■11月のアクティビティ Tet Thung Thu

 

 

 

 

Do you know any stories or legends about the moon?This month in DCEC, we celebrate with Vietnam, and other Southeastern countries, as they hold Tet Thung Thu or Mid-autumn Moon Festival, appreciating the full moon at its brightest in September.

 

 

 

 

 

Tet Thung Thuや中秋の名月フェスティバルはベトナムにおいて子供達が中心となる、素晴らしい、古典的な祭典です。祭典は2000年前の東南アジアにさかのぼり、そして伝統的には、太陰月の8月の15日に行なわれます。長年、ベトナムの家族にとって大切であり、元々この祭典は、収穫期の後、親たちが子供達との失われた時間を補うためにできたものでした。

子供たちにとって楽しい祭典であり、多くの大人たちにとっては見物するのが愉快な祭典です。祭典の何週間も前からパン屋は蒸したもち米で何百何千ものムーンケーキを作るのに大忙しです。そしてそのケーキは、ピーナッツや砂糖、ハスの種、アヒルの卵の黄身、レーズン、スイカの種などのあらゆる種類のちょっと変わった詰め物で一杯に満たされます。 

そしてまた、前もってカラフルな手提げランプが作られます。それらは、ボートやドラゴン、野うさぎ、ヒキガエル、ロブスター、一角獣、鯉などの形をしていて、あらゆる村や都市の道で何週間も売られています。子供達がそれらで遊び始めるのは祝日のずっと前からです。全てのものが夕方の暗闇に包まれる中で、子供達は小さなロウソクで明かりを灯し、それをセロファンでできた手提げランプの中に置き、棒切れの周りで揺らします。一年を通じて、ベトナムで見られる最も美しい光景のひとつなのです。祭典の夜、子供達は行列を作り、火を灯した手提げランプを持ちながら、通りを練り歩きます。ドラムとシンバルの伴奏付きで一角獣のダンスを披露します。

 


 

 

■11月のアクティビティ  Thanksgiving

Thanksgiving

アメリカでは、毎年11月第4木曜日に感謝祭が行なわれます。この感謝祭、実は、1621年、マサチューセッツにたどり着いた最初の開拓者が、アメリカ先住民の助力のもと、トウモロコシや大麦、カボチャの収穫に成功したことを祝ったことが始まりとなっています。先住民は、七面鳥と一緒にローストする鹿を持ってきて、開拓者にクランベリーやいろいろなトウモロコシやスクワッシュ(ウリ・カボチャの類)料理の作り方を伝授しました。

翌年以降も、多くの開拓者は、感謝の宴で秋の実りをお祝いしましました。そして1863年、アブラハム・リンカーンは、11月の最後の木曜日を感謝祭の日とするよう全アメリカ市民に呼びかけました。1939年には、ルーズベルト大統領が、クリスマス前のショッピング期間を長く延ばすことで商売促進を支援するため、感謝祭を1週間早めに設定しました。1941年後、議会は、11月第4木曜日を国民の休日と毎年大統領により宣言することを定めました。

今日まで、感謝祭は伝統と分かち合いのときとされてきました。たとえ遠くに住んでいようとも、この日は家族皆が年配の親戚の家に集まり、そこでいただくご馳走に感謝します。この精神に基づき、市民グループや慈善団体は、とりわけホームレスのような食事に困っている人々に伝統料理を振る舞います。

 


Halloweenってなに?

ハロウィンの起原
Halloween sign
ハロウィンについて調べてみるとその起源は実は非常に古いことがわかりました。

ハロウィンは古代ケルト人のSamhain(ソーイン)祭が起原とされています。ケルト人というのは、2千年前に今のアイルランド、イギリスと北フランスに住んでいた人々で、ハロウィンの起源に当たるSamhain祭は11月1日の彼らの新年を祝ったものでした。

この日は夏の終りと、秋の収穫、そして人の死を連想させる暗くて寒い冬の始まりを象徴しています。ケルト人は大晦日の夜(10月31日)は生死の世界の境界がゆがんでしまい、死人の魂がこの世に戻ってきてしまうと信じてきました。そこで(古代ケルト族の信じたドゥルイド教の)ドゥルイド僧は大きな大かがり火をたき、人々はそこに集まり作物や動物を生贄として神様に捧げました。祭りの間、ケルト人たちは動物の頭や毛皮でできた衣装を着てお互いの幸福を語り合いました。

その後、紀元43年までにローマ帝国がケルトの領域のほとんどを征服し、その後の400年の間に、ローマを起源とする2つのお祭りがSamhain祭と統合されました。1つは10月末に行われる死者を弔うFeraliaで、もうひとつはローマの果物と木の女神Pomonaを称えるお祭りです。
800年までにはキリスト教がケルトの国々に広まり、7世紀には、ローマ教皇Boniface4世が11月1日を聖人や殉教者の栄誉の日の All Saints' Day(万聖節)として制定しました。この日は今日では広く、ローマ教皇がケルト人の死人に関連したお祭りをカソリックの日として置き換えようとしたと信じられています。お祝いはAll-hallowsまたはAll-hallowmas(万聖節の意味であるMiddle English Alholowmesseから)ともよばれ、その前日であるSamhainの夜はAll-hallows Eveとよばれるようになり、そしてそれがHalloween(ハロゥイン)となったのです。

紀元1000年に教会は11月2日を死者を弔うAll Souls' dayと定めましたが、それはソーイン祭と似ていてかがり火を炊いて聖者や天使、悪魔といった衣装を着てパレードするものでした。

 




現代のハロウィン

 アメリカの伝統である「Trick-or-treating(お菓子をくれないといたずらするぞ)」は、おそらくイギリスの、初期の「All Souls' Day」(11月2日)のパレードからきているものでしょう。このお祝いでは、貧しい人々が食べ物を乞い、彼らにたくさんの「soul cakes」といわれる施しを提供すればするほど、その見返りに施しをしてくれた村人の亡くなった親族のためによりたくさんお祈りをすると約束したそうです。
この「going-a-souling」と呼ばれるsoul cakesの配布は、近所の家々を回って、ビールや食べ物、お金などをもらう子供たちによって受け継がれていくようになりました。
 
伝統的なハロウィンの衣装はヨーロッパとケルトの両方がルーツとなっています。ハロウィンでは幽霊がこの世に戻ってくると信じられてきたので、人々はもし家を離れたら幽霊に会ってしまうと思っていました。
幽霊たちに気づかれるのを避けるために、人々は夜家を離れる時はマスクをかぶったりして、幽霊たちが自分たちの仲間だと思わせるようにしたのです。ハロウィンでは、幽霊が人々の家に近づかないように食べ物が入ったボウルを家の外に置き、幽霊をなだめ家に入ってくるのを防いだりしました。

ヨーロッパの移民がアメリカにやってきた時に彼らは様々なハロウィンの習慣も持ち込みました。
最初のお祝いは収穫をお祝いする催しもので、近所の人々が死者の話をしたり、お互いの幸運について語り合ったり、歌ったり踊ったりしました。Trick or Treat
19世紀中ごろまでには秋の収穫祭は一般的になりましたが、ハロウィンはまだアメリカ全土では祝われることはありませんでした。

19世紀の後半には、自国のポテト飢饉を逃れてきたアイルランドの移民によってハロウィンは広く行われるようになりました。そのころから人々が仮装して家々を回り食べ物やお金を乞い歩くようになり、それが今日の「trick-or-treat」となったようです。

1930年ころまでには、ハロウィンはだんだん非宗教的になり、パレードなど街をあげてのパーティのようになって行きました。
1950年ぐらいまでの間にはtrick-or-treatingもだんだん変質していきました。trick-or-treatingは地域社会全体で共有することのできる比較的安上がりなハロウィンのお祭りとなり、それぞれの家庭では、ほんの少しのお菓子などをあげることで近所の子供のいたずらを防ぐことができました。

新しいアメリカの伝統が生まれ、そして拡大を続けています。今日では、毎年69億ドルもハロウィンに使い、二番目に大きな国の祝日になっています。


お化けかぼちゃ


ハロウィーンというとあのお化けかぼちゃを思い浮かべますが、あのかぼちゃのことをジャック・オ・ランタン(Jack-o'-Lantern)といいます。
人々はハロウィーンにあのジャック・オ・ランタンを何世紀にもわたって作ってきました。このかぼちゃは、アイルランドの伝説で「けちなジャック」に由来すると言われています。Jack-o'-Lantern

そのお話によるとジャックが悪魔と一緒に飲みに行った時、けちなジャックは飲み代を払いたくなかったので悪魔に銀貨になってくれるようにたのみました。悪魔が銀貨になると、ジャックは悪魔が元に戻れないようにそれをポケットの銀の十字架の隣に閉じ込めたのでした。そして、悪魔に1年間は命を奪わないことと、死んでも魂を奪わないことを約束させて開放しました。
そして、1年後に現れた悪魔に対し、死ぬ前に果物が食べたいので木に登って取ってきてほしいと悪魔に頼み、悪魔が木に登ると、木の幹に十字架を彫り悪魔が下りられないようにしました。そして、今度は10年間は邪魔をしないように約束させて悪魔を開放しました。
(けっこうこの悪魔ってまぬけですね。)

その後しばらくしてジャックは死ぬが、神様はこのような悪い奴は天国に入ることを許さず、また、魂をとられない事を悪魔と約束していたので、地獄にも落ちることができませんでした。悪魔はジャックの道しるべに火のついた石炭を渡し、暗闇の中に追い返しました。それ以来ジャックはくりぬいたかぶの中に石炭をいれ、さまよい続けたそうです。

アイルランド人は、このゴーストのことを"Jack of the Lantern" と呼び、それが"Jack O'Lantern" へと変わったとのことです。

アイルランドとスコットランドでは怖い顔をかぶやジャガイモに彫った独自の ジャックのランタンを作るようになり、それを怖がって「けちなジャック」や他の邪悪な魂が寄ってこないように、窓辺やドアの近くに置くようになったのです。イングランドでは大きな赤カブがそれに使われました。

これらの国からの移民がアメリカにやってきたときに、ジャック・オ・ランタンの伝統を持ってやってきて、アメリカで、もっと大きく完璧なちょうちんを作れるかぼちゃを発見してそれを使うようになったということです。


 

 

 

 

 

◆Christmas Party  “Jingle Bells Rock”

DCEC’s Christmas Party with the theme “Jingle Bells Rock” is coming soon; rumors say that Santa and his protegees will be joining the fun.In that case, for those undecided, you’d better sign up now.As of this writing, a total of 76 participants had confirmed attendance.Games, presentations from both learners and GVss & staff , mouth-watering dishes and gift-exchanging already await them.And speaking of gifts, isn’t it always exciting to open one?That’s why, Kris Kringle had become part of DCEC’s tradition.

 

恒例のクリスマスパーティ。今年は約100名の参加でにぎやかに行なわれました。

 

DCEC's Christmas Party "Jingle Bells Rock"

生徒さんたちのキャロルやパフォーマンス、ガヴァネス達の歌とダンス、そしてゲームとブッフェ。

ラーナーのご夫婦によるすごく雰囲気の良い英語での司会(下)

慶応大学小野名誉教授と埼玉大学宇田教授も駆けつけていただきました。(左斜め上)

パーティ修了のスピーチも生徒さんが英語でかっこよく(右下)

 

 






〒330-0802   さいたま市大宮区宮町2-51 大宮蓮見ビル5F
TEL 048-649-6588   FAX 048-649-6589
お問い合わせはこちらまでどうぞ   info@delacruz-jp.com

デラクルーズ イングリッシュクラブ トップページ