

英会話を習ったら海外で実際に使ってみたい、ホームステイしてみたいと思う人は多いと思います。
デラ・クルーズ イングリッシュクラブは、提携しているオーストラリアのビジネススクール<WINDSOR INSTITUTE>を通じて、皆様の夢の実現をお手伝いいたします。
ここで簡単にWINDSOR INSTITUTEのご紹介をさせていただきます。
WINDSOR INSTITUTEはシドニーの中心部に位置し、セントラル駅、タウンホール駅まで徒歩5分のショッピングやアクティビティにも便利な地域です。
コース内容は「一般英語コース」「ITコース」「E-ビジネスコース」「旅行業コース」を備え学生数約500名のビジネススクールです。
DCECの生徒さんで海外で実際にステイしながら英語・英会話を勉強したいというご希望の方には、2週間くらいから2年くらいまで、ご希望にあわせたコースも設定する事が可能となります。
手続きはDCECがお手伝いし、オーストラリアではホームステイ先の手配から空港の出迎え、休日のちょっとした観光までWINDSORがお手伝いいたします。
デラ・クルーズで英会話に慣れた後、オーストラリアでホームステイをしながら英語のブラッシュアップをする。
そしてウィークエンドにはオーストラリアの自然を満喫する、などという生活をしてみませんか。

■オーストラリアでの出会い by Ms. Yasuko
☆学校について
私が行ったときは丁度学生が多くなる時期だったようで、クラスメイトは16人くらいいました。香港、台湾、タイ、チェコ、スロバキア、中国、日本。いろんな国の人たちが16人英語を勉強するために集まっている訳ですが、それが私の学校生活を面白いものにしてくれました。
まず、授業。午前中は9時から10時半、11時から12時半の2コマあって同じ先生が文法から発音まで教えてくれます。私がいた時にやっていた文法は前置詞と時制、それから助動詞でした。基本的には中学校で習っていた事、「簡単じゃん!」と思って適当に聞き流していたら、、問題を見て吃驚(びっくり)ああ、これが日本の英語教育との違いなのかと感じました。ちょっとした文章が最初にあって、それを読んで問題に答えていくのですが、その答えは自分で考えなくちゃダメなんです。って、意味がわからない書き方ですね。例えば、これは実際に解いた問題なのですが、『2000年度にニュージーランドで生まれた赤ちゃんについて』の説明が簡単にある訳です。
それについて"He ○○○ be famous all his life." や"His
parents ○○○become rich."という感じに空欄を助動詞と副詞で埋めるよう出題されます。そして自分が何故そう思ったかを周りの人たちと話合って、それからクラス全体で話し合うという感じで授業は進んでいきます。なんだか英語で国語の授業を受けている感じで、どうして?と聞かれる度に日本語でさえ説明する言葉が思いつかず苦労しました。ただ、それも最初の頃だけで、慣れて来ると、自分とは違う様々な価値観を知ったり、自分の意見を聞いてくれたりというのが面白くなってきました。皆、一生懸命に自分の意見を伝えようとするし、他人の意見を理解しようとしてくれます。多分、お互いに使いこなせない言語でコミュニケーションを取っているのでそういう事になるのでしょうが、私にとってはとても新鮮なことでした。
午後はお昼休みを取って1時半から始まります。まず1時間、先生が変わって発音の授業です。といいつつ、殆どゲームをして過ぎてしまいました。最初にテープを聴いて、聞き取りの練習をしたあとはもうゲームの時間です。先生から与えられた幾つかのアルファベットでどれだけの単語を作れるかをチームで競ったり、自分たちでクロスワードパズルを作ったりしました。"doctor"という単語の発音について同じチームだった香港の男の子と揉め合って先生に助けてもらったという変な思い出があったりもします。国によって教えられてきた発音が違うみたいです。彼はこう教わったんだと”ダクター”と言い続け、皆で電子辞書の発音まで駆使しました。
それから、5分程休憩があって最後の授業です。午前中の先生が再度教えてくれます。だいたい午前中とは別のことでこの時間内で終わらなければ宿題ね、という感じなことをしました。確か最初の日は直接言い辛いことは手紙で伝えようということで、3つのシチュエーション(彼女の妹を好きになってしまった男、兄から預かったイヌを逃してしまった弟、友達に好かれようと自分の家はお金持ちだとウソをついて少年)が用意され、それぞれ成りきって謝罪の手紙を書きましょうというものでした。これは、英語の方がスラスラと出て来て、逆に日本語で考えない方がいいなと思いながら書いていました。
☆休み時間のこと
余談ですが、休み時間は授業以上に面白い時間でした。とりあえず初対面同士、英語で自己紹介。名前と出身地とを言うんですが、普通に名前が分からない。相手が日本人でない限り、1回聞いただけでは覚えられません。特にチェコの子たちは巻き舌気味に喋ってくれるので何回も聞き直してしまったり。自己紹介が終わると少し沈黙が訪れて、どれくらいオーストラリアにいる予定なの?どうしてここに来たの?という質問を受けます。1週間と答えると皆が皆、驚いて"Why?"と聞いてくるのでなんて答えていいものか悩みましたが、それもそのはず。殆どの子が月単位で学校に来てて、その後のこともちゃんと考えていてその事を英語で一生懸命教えてくれました。
それからお互いの持ち物の話をしたり、国の言葉を教えてもらったり。英語で喋っているのに大笑い出来るのがなんだか不思議でした。
クラスには日本人が私を含め6名程いたのですが、休み時間等も極力英語で、皆と会話をするような感じで過ごしました。クラスメイト以外でもオリエンテーションが同じだった子と話したり、Ms. Shokoのクラス等に遊びに行ったり。いろんな人たちに出会えてことはそれだけで楽しい思い出です。
☆ホストファミリー

お父さん、お母さん、13歳のお兄ちゃん、数ヶ月のベイビーの4人家族にお邪魔してきました。家はシドニーから電車で30分くらいの静かな住宅地、休日の朝にはご年配の夫婦が散歩を楽しんでいるような長閑(のどか)な所です。オーストラリア1日目にして、ホームスティ最初の日。明日から学校だからとママがシドニーシティを案内してくれました。切符の買い方から、電車の時刻表の読み方まで。明日から私が1人でちゃんと家から学校に行き、また家に帰って来られるように、一つずつ丁寧に説明してくれました。そして、シドニー観光の目玉、オペラハウスにも連れて行ってくれました。中には入らなかったのですが、その眺めは最高でした。
その夜。まず驚いたのはお米が夕飯に出て来たこと。1週間はお米とさよならだと思い込んでいただけに嬉しかったです。というか拍子抜けでした。洋風チャーハンの様な食べ物で聞けばお母さんもお父さんも日本食が好きなご様子。なので1週間の殆どをお米で過ごしました。
そして、ご飯の後は決まってデザート。あんだけ食べてまだ入るの!?
って感じでしたが、最終日には私も普通に食べてたりして・・・。自分でも驚きでした。
お父さんもお母さんも雰囲気を大事にしていて、食事の時は照明を落としたり、邪魔にならないように音楽をかけたりと食事と共に会話も楽しんでました。
1日の流れとして、朝ご飯をお庭で食べて学校に行き、帰って来てお茶の時間。 それから2時間くらい経ったら夕ご飯。というモノでしたが、そのどの時間も向こうからいろいろと話しかけてくれるので嬉しかったです。もっと英語が喋れたらというもどかしさを感じずにはいられませんでした。ただ、最初の頃聞き取れなかったお父さんの英語がだんだん分かってきたのは嬉しかったです。
あと、文化の違いというか習慣の違いで驚いたのはお父さんがお母さんに本当に優しいところです。ベイビーのお世話も、食器の後片付けも基本お父さんの仕事でした。お父さんに日本ではお父さんでそういう事をする人は少ないよと言ったら、苦笑いをしていましたが、日本のお父さんも見習ってもらいたいなあと思いました。(向こうではお父さんの帰宅時間が早いから出来ることなのかも)
☆最後に
今回の旅では本当にたくさんの人たちと出会うことが出来ました。ホストファミリーをはじめとしてスクールの子たちや先生方。それからシドニー空港から車でホストファミリー宅まで、数十分一緒になった女の子とドライバーさん。飛行機の中で隣に座って話をして下さった方。道に迷った時に親切に教えてくれたおじちゃん。一緒に行動してくれたMs. Shoko。たくさんの人たちから、いろんなお話を聞けたし、優しさをもらいました。私が1週間笑って過ごせたのはそんな方たちのお陰です。今回、その方々への自分の至らなさだとかふがいなさを痛感しました。
私の周りにいた人たちが1年とか長期間で滞在する人たちだったためか、そのペースにのまれ、観光はあまり出来なったので、次回はぜひいろいろまわってみたいと思います。

■夢の世界へ By Ms. Shoko
私が英会話を勉強しようと思ったのは、新聞に75歳の婦人の方が短期留学をして、とても良かったという記事を読み刺激を受けたからです。
その後、デラ・クルーズに入学し、英会話を勉強して2年弱になります。こちらのスクールでオーストラリアへの短期留学ツアーの参加者を募集していることを知り、英語力には全然自信はなかったのですが、好奇心旺盛なところは人一倍ありましたので、今回申込みました。
いろいろなアクシデントがありましたが、いざオーストラリアへ!
期待と不安で胸がいっぱいでした。成田からオーストラリアへの飛行機の中で、隣の席になった札幌から来た女子大生は、ニュージーランドで一ヶ月留学をするということでした。楽しくお話をしながら、オーストラリアでは私を税関のところまで送ってくださいました。大変感謝しております。お互いにがんばりましょう、と言って別れました。
Ms.Yasuko(左) Ms.Shoko(右)
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私にとって、初めての一人旅。待ち合わせの場所に到達し、一安心しました。そこで、デラ・クルーズから申込まれた、Ms. Yasukoに会いました。迎えの車で、各滞在先をまわり、私は最後でした。
おそるおそる家に着いた時、アシスタントの男性がいろいろお話してくださったのですが、私は小さな声で挨拶するのが、やっとでした。
ホストマザーの"Hungry?"の質問に、大きな声で、"Yes!"と答えました。まだお昼頃だったので、とてもお腹が空いていたのです。
昼食をいただいてから、マザーの車で息子さんと一緒にスーパーに買い物に行きました。日本と比較すると、野菜などがジャンボなのにビックリしました。
明日からスクールに行くので、マザーから駅までの道順を聞き、メモをし歩いてみましたが、15分で着きました。
当日は、早目に出て、電車の回数券を買い、タウンホールで下車し8時40分に着いたのですが、道に迷うこと2時間くらい。電話を3箇所にかけてもつながらず。。。電話のかけ方を指導して欲しかったのですが。ホトホト途方にくれ歩いていると、オープンカフェが見えてきました。コーヒーを飲みながら、頭を冷静にして、日本人らしき女性に地図を見せながら声をかけてみました。しかしながら、その方は中国人でした。親切にも日本食レストランがあるから、そこで聞いてみればと、誠寿司(回転)まで案内してくれました。
お礼を言ってから、そのお店に入って地図を見せて聞いてみました。仕込み中にもかかわらず、手を休めて説明してくださいました。
聞いた通り歩くと、そこからたった3分位の所でした。本当にビルの手前を行ったり来たり2時間歩いていたのです。
日本と違って、看板が出ていないし、番地も通りをはさんで右が偶数、左が奇数となっているようでした。
スクールに到着したのは、10時半。日本人スタッフの方にお会いできました。その後、すぐに30分間50問のテストを受けましたが、全然わかりませんでした。11時に終わり、他の方達は12時半まで授業に入っているので、町を歩いてきたらと言われましたので、早速、誠寿司に行き回転寿司を食べ、お礼を言ってきました。
一生懸命スピーチをしました
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その後、また時間があったので、ポストカードを買いに行きました。午後からはMs. Yasukoとチャイナタウン、ハイドパーク、オペラハウスに行き、カメラに収めてきました。
次の日からは5分位のところにある教室で勉強しました。理解するのが難しかったです。でもいろいろな国の人達ととても貴重な体験をすることができました。インターネットの授業が1時間あったのですが、有名人のマドンナ、タイガー・ウッズ、柳沢真一と自分の知っている人を入力すると、あっという間に時間が経ち、とても楽しかったです。
午後は1時間先生が変わり、ゲームなどをして、これもあっという間に終わりました。その方は日本に留学経験のある癒し系の先生でした。
ラストレッスンでは、みんなの前で名前を呼ばれ、卒業証書をいただきました。最初で最後の体験なので、(メモを見ながら)スピーチをしました。メモは日本で英文にしていったので、先生に添削していただきました。最後に、日本人の方に写真を撮っていただきました。
ホストマザーと息子さんと私
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スティ先では夕食は6時半頃なので、夜はとてもお腹がすくので、駅の売店でカステラを、街頭で青リンゴなどを買って腹ごしらえをしました。
その後、JANGAというゲームを教えていただきました。積み木みたいなものが積んであるのを倒さないように少しずつ取っていき、倒した人が負けです。私はすぐに負けてしまいました。
土曜日は1日フリータイムで、昼食後、駅までウォーキングし、まだ行ったことのない場所にあるスーパーなどに全て入ってみました。3時頃に帰ると、マザーのお姉さんがいらして、海に行こうと言うので、" Yes!"と大きな声で答えました。お姉さんの車は日本車のホンダで、息子さんと3人で行ってきました。マザーはお留守番でした。
4時頃で、気温17度だったというのに、たくさんの子供達が泳いでいました。
その息子さんが私の目を見て"I"、胸に両手をあてて"LOVE"、そして右手を私の方に差し出して"YOU" と言われた時は、天にも昇る気持ちでした。
最後の朝は、空港までタクシーを呼んでもらいました。タクシーに乗る前に、マザーにハグされた時は、とても緊張しました。
空港まで、13分で到着。いろいろな手続きをして飛行機に入った時は、ああ〜、これで日本に帰れるとホッとしました。
初めて挑んだ短期留学の日々は「夢の時間」でした。
勉強はその日その日が初日です。今回の留学は二度と経験できない
ような貴重な時間でした。
皆様、是非参加してみる価値があります。今までにない貴重な宝を勝ち取ること、まちがいなしです。
"To go or not to go. That was the question" by Mr.Watanabe

To go or not to go. That was the question. When I told my plan to go to Austlaia and to do home stay to my juniors, they said to me “Really? Are you going to do home stay at your age? That is only for young people.” Those words really struck me and I got very nervous to meet my host family.
So, while I was going to my host family’s house, I asked the lady assistant who took me there. “What are host families like?” She replied soon, “You are lucky. They have the best popularity.” Hmm. But I couldn’t be released from anxiety. When I reached my host family’s house, I went inside with hesitation. But the mother, gray short-haired father who wore an earring, and their baby appeared cheerfully. Then they soon invited me to have a cup of tea in the back garden. It was almost 10am on Sunday. Against my thought, they were really pleased to hear I was not a student but a social worker and took one week off to study. Then the mother’s welcome machinegun talk continued until 11pm. I was almost dying of her nonstop conversation. But it was a great English shower for me. At that night I could sleep like a log.
The next day was Monday. I took a few minutes bus drive to Windsor Institute in Sydney wi th a wonderful bayside view. That commuting made me feel I was a student. But with great regret, because of many young Japanese students’ lazy talk in Japanese, we couldn’t concentrate on studying and the lesson speed became slow. Since this was a valuable time for me, I really got angry. When I talked to them, I learned that their English was very poor. I was very sorry for their parents. But on the contrary, young Asian ladies were interested in Japan. So I could enjoy conversations with them. One Taiwanese girl approached me every morning and said “おはよー.” But when she went home, she came to me and said “おはよー.” It was very funny, isn’t it?
When school was over at 3:30 pm, I took my little journeys. I saw the Opera House, HarbourBridge, SydneyTower, Marri cathedral and etc. Of course, those were amazingly beautiful. When I returned home, my host mother was waiting for me with her delicious dinner. I spent most of my time to make conversations and watch TV with them. They have a big home theater and it has an English subtitle function. So I managed to understand TV programs. Oh, I forgot to write that there was one Japanese lady who did home stay at the same house. She was learning beauty treatment in Edge Cliff near Sydney. So with four family members, we enjoyed every night. It was like a real family and I thought, “This is like the TV program “うるるん滞在気.” That program was always emotional at the end – like my visit. At the end of my study, when my host mother hugged me, I felt very sad. I really, really appreciate their warm kindness. I’m sure I won’t forget these valuable experiences. This is my treasure. I decided to study English harder and I will never fail to go to Australia again. I would like to say, “Thank you, English.” Thanks for En glish I could communicate with those great people.
行くか、行かないか。それが問題だった。オーストラリアに行ってホームステイプログラムに参加するといった時、彼らは私にこう言った。「本当に?その歳で、ホームスティしに行くの?あなたが気にしなくても、受け入れ先が気にするよ。彼らは若者が来ることを期待しているよ」その言葉が心に突き刺さり、私はホストファミリーに会うのにとても神経質になってしまった。
それ故、私がホストファミリーの家に向かっている時、アシスタントの女性に聞いてみた。「ホストファミリーの人たちはどんな感じ?」彼女はすかさずこう答えた。「あなたはラッキーですよ。彼らは一番人気がある人たちですもの」は〜。でもリラックスはできなかった。
私がホストファミリーの家に着いた時、ためらいながら家に入った。お母さんとイヤリングをしたグレーの短髪のお父さんが元気よく現れた。それから彼らはすぐに私を裏庭でのティータイムに誘ってくれた。日曜日の朝10時だった。私が学生ではなく社会人で、一週間勉強するために休みをとったことを聞いて、彼らは私の予想に反して喜んでくれた。そしてお母さんのマシンガントークは夜11時まで続いた。私は彼女のノンストップの会話に死にそうだった。でもそれは私にとってすごい英語のシャワーだった。その夜は死んだように眠れた。
次の日の月曜日から。シドニーの素敵な海辺の眺めが見えるウィンザーには数分バスに乗って通った。その通学は私が学生である事を感じさせてくれた。でも、残念だったのは、たくさんの若い日本人学生たちが不精にも日本語で話していたため、勉強に集中できず、レッスンのスピードを遅くしていた。私にとって価値ある時間であったが、本当に頭にきた。彼らに話しかけた時、彼らの英語はとてもレベルが低いことに気づいた。彼らのご両親がかわいそうに感じた。でも一方で、若いアジアの女性たちが日本に興味を持っていたので、彼女たちとの会話を楽しむことができた。中国人の女性は毎朝「おはよー」と私に言いにきてくれた。でも彼女が家に帰る時も彼女は私に「おはよー」と言いにきた。それはとてもおもしろいことですね? 
学校は3:30に終わる。学校の後は、小観光をした。オペラハウス、ハーバーブリッジ、シドニータワー、マリー大聖堂など。もちろん、それらは驚くほど美しかった。家に帰ると、ホストマザーがおいしい夕食を用意して私を待っていてくれた。私は、時間のほとんどを彼らと会話をしたり、テレビを見たりして過ごした。彼らの家には大きなホームシアターがあり、英語の字幕機能がついていた。そのおかげで、テレビで何を言っているのか理解することができた。実はその家にはもう一人日本人の女性がホームスティをしていた事を書くのを忘れていました。彼女はシドニー近くのエッジクリフで美容関連の勉強をしていました。だから、4人の家族のメンバーで毎晩楽しんだ。それは本当の家族のようで、テレビ番組の「うるるん滞在記」のようであった。その番組はいつも感動的な終わりであり、私の滞在も感動的だった。滞在の終わりに、ホストマザーが私を抱きしめてくれた時、とても悲しかった。彼らの暖かい心に本当に感謝している。この価値ある経験を忘れることはない。この思い出は私の宝物である。英語をもっとがんばって勉強し、絶対にもう一度オーストラリアに行くぞ。「英語に感謝」と私は言いたい。英語のおかげで、すばらしい人たちとコミュニケーションができたんだから。
母と子のオーストラリア留学記 by Yoko & Hinata
私は6歳の息子と一緒にDCEC第2回オーストラリア留学プラグラムに参加しました。私にとって初めてのホームステイ&留学であり、息子にとってはオーストラリアが生まれて初めての外国となりました。見るもの聞くものすべてが興味深く珍しく、私も息子もたくさんのことをはじめての経験から学びました。決して大げさではなく、オーストラリアに滞在した2週間は私たちにとって宝物のような時間となりました。
【Walk】
毎日幼稚園まで歩いて通いました。片道25分くらいです。幼稚園で息子と別れて、そこから今度はバスで英語学校のあるシティと呼ばれるエリアまで行くのですが、バス停から英語学校まで、さらに15分くらい歩きました。日本にいるときの3倍くらいは毎日歩いたのではないでしょうか。印象に残っているのが歩行者信号です。なかなか青にならず、やっと青になったと思ったらあっという間に赤に変わってしまいます。はじめのうちは辛抱強く青になるのを待って、青になったら走って横断していたのですが、そのうち周囲の人に習って、赤でも車がきてなければ横断し始め、さらに車にクラクションを鳴らされても肩をすくめてゆっくり歩きとおすようになってしまいました。”信号を守って、左右を確認して、手を上げて渡りなさい”と日本の交通ルールを徹底的に教え込まれている息子は、不思議そうに「赤なのに渡っていいの?」と聞いていました。「これはシドニールール。日本でやっちゃだめ」と説明すると、息子は納得したのかどうか、大人しく私にしたがって歩いてくれましたが、我ながら勝手な言い分だと思いました。帰国してからは、もちろん親子ともきちんと赤では止まり、青で渡ってます。念のため。
【School】
ウィンザー英語学校では、英語のスキルアップより、留学や語学研修のあり方についていろいろと考えさせられました。アジア各国からワーキングホリデーや学生ビザなどを利用して多くの学生が集まっていましたが、残念ながら熱心な授業風景にこちらが圧倒されるということは皆無でした。特に日本からきていた学生の多くは20代の若者で、大半は親の援助を
受け、3ヶ月から1年くらい学校に在籍します。規定出席日数さえ満たせばよいと考えているのか、遅刻、早退、欠席が目立ち、授業中もおしゃべり(それも日本語で!)が絶えないなど、唖然とさせらるようなこともありました。私はといえば、たと
えば子供が病気になったり、幼稚園にいることを嫌がったら、その日の学校はあきらめなければならないわけで、学校に来ることができる1日1時間が本当に貴重なものだったので、何に煩わされることもなく恵まれた環境で学べる彼らが、時間を無駄にしているのがとてももったいないと思いました。もちろん留学は英語を学ぶだけではなく、現地の慣習や文化に触れ、そこで生活していく力を身につけるための貴重な機会でもあると思います。学生どおしで部屋をシェアし、ネットや携帯電話で仲間同士ネットワークを構築して毎日を楽しんでいる彼らは、ある意味たくましくもみえます。私も学生のときであれば、恵まれた立場を意識することができず、同じような過ごし方をしたかもしれません。学生とは立場が異なる今だからこそわかることではありますが、学校は「学びの場」を提供しているだけで、英語を話せるようにしてくれるわけではなく、ただそこにいるだけでは、真剣に学ぼうとしている人の邪魔になるだけです。自分の息子の10数年後を若いクラスメートたちの姿に重ねつつ、彼らが早く自分の留学の意義に気づき、目的を持って学校に来るようになることを願わずにはいられませんでした。
【Homestay】
ホストファミリーには本当に恵まれました。2週間の滞在で少しでも私の英語が上達しているとすれば、ホストファミリーのお母さんのおかげです。ファミリーの構成は彼女と17歳の彼女の息子、中国と日本からの留学生が1人ずつ、そして私たち親子の6名でした。ホストマザーは毎日この大所帯の食事を準備し、自らも仕事をもち、さらに大学で学ぶスーパーウーマンです。合理的な家事の切りまわし、息子との接し方など日々の生活の中でも、主婦としても学ぶことが多かったです。また息子のロディン君は私の息子に話しかけるとき、始めて息子が接する英語がきちんとしたものであるようにと、ずいぶん気をつけて話をしてくれました。毎晩夕食後、各自が部屋にひきとった後、キッチンのテーブルはホストマザーと私の勉強机となりました。彼女はパソコンに向かいながら、私の勉強を手伝ってくれました。また、一緒にお茶を飲みながら私のつたない英語に付き合って、オーストラリアや家族のことなどいろいろと話をしてくれました。
不思議なことに、半分くらいは聞き取れなくても、話の内容は伝わってくるし、満足に英語を話せなくても、こちらの話の内容は伝わっているのです。彼女とは帰国後の今も電子メールの交換が続いています。彼女もまた深夜の勉強&ティータイムを懐かしんでくれていることが、とても嬉しいです。
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僕も幼稚園で毎日英語だよ! |
うわあ、コアラが僕を食べようとしてる! |
どう、きまってる? |
KuniさんのWindsor短期留学記
10月23日、私はDCECのオーストラリア短期留学ツアーに参加しました。
飛行機の中では初めてのオーストラリア滞在ということもあって興奮して、約9時間のフライトがやたら短く感じました。
1週間という短い期間でしたが、オーストラリアに滞在して一番印象に残ったのは、綺麗な海と人々の親切なところだと思います。ホストファミリーも自分を家族のように受け入れてくれて、日本では考えられないくらい外国人に対しておおらかで、英語に対する不安も初めだけでファミリーと話をしているうちにそのような不安は無くなっていきました。ウィンザーの日本人スタッフも皆いい方で、いろいろサポートしてくださりとても感謝しています。おかげでシドニーでの生活は快適に、そして、刺激的な毎日を過ごすことができました。
ウィンザーでは初日にレベルチェックテストを行い、自分は中級クラスに入ったのですが、そのクラスはアジアやヨーロッパなど約10名弱くらいの生徒がいて、やはり中級クラスというだけあってそのレッスン内容は難しく、そして、みんな流暢に英語を話すので、少し授業に戸惑ってしまいましたが、先生や生徒がとてもフレンドリーで気兼ねなく解りづらい問題などを質問することができました。そして、授業を通して学んだオージースラングに夢中になり、今では、時間ができる度にシドニーで買ったオージースラングの辞書でオーストラリアの人が日常生活で使う表現を勉強しています。
もちろん、滞在中、ウィンザーでの勉強だけでなく、いろいろな所にも行ってきました。シドニータワーではミズ・ヴィーナとウィンザーのスタッフの方とディナーを楽しんだり、オペラハウス周辺の海をクルージングしたり、最終日にはスカイダイビングにもチャレンジしてきました。
4000m上空から飛び降りたのですが、自分の真下にある無限に広がる雲のじゅうたんは今も忘れません。本当にいい思い出を作れました。この1週間で自分が得たものは計り知れないと思います。英語に対する自信や英語は意思疎通をとるための道具であることを知り、人が持つ本来の優しさにも触れてきました。機会があればもう一度オーストラリアに滞在したいものです。
Ms.VeenaのWindsor見学記
初めての外国に行ったなら、第一印象は大変重要です。私のオーストラリア、シドニーへの旅で本当にそう思いました。空港やホテルの従業員、レストランのスタッフは別として、最初にオーストラリア人とは何かを教えてくれたのはウィンザーインスティテュートの先生たちでした。
ウィンザーの校長、ミスター・ジャン・ヴァセクのマーケティングオフィスに入った瞬間から、すでにプロ意識と親切なもてなしの空気が感じられました。数秒後にはおたがいをニックネームで呼び合っていたのです。
彼は私を連れて建物の中を回り、彼の部下に紹介してくれました。彼とトシ(後で紹介します)に、近くの中華料理店でお昼ご飯をごちそうになりました。そして、私たちの仕事について、また海外移住や個人的な生活について話し始めました。実は彼はチェコ出身だったのです。
正直に言って、いつまでもディスカッションしていたいような、デビット・レターマンのステージにいるみたいでした。
最初のミーティングの後、彼らのコンピューターラボの一つでDCECへの報告のため、インターネットを使わせてもらえることになりました。そこでは、若いインド人女性の先生が10人ぐらいの生徒に対しITの授業をしているのが聞こえてきました。彼女ははっきりとして、思慮深く、活発な話し方をしていました。私は2,3年前のコンピューターの授業を思い出して微笑んでいる自分に気がつきました。
きれいな先生を持つことは、学ぶのに良い影響を与えてくれます・・・
その後、ドクター・アラン・アジャディのオフィスに連れて行ってもらいました。アランは商業部門の責任者です。彼の肩書き、地位、そして外見や年齢(この後半をほめ言葉として感じとってくれるといいんだけど)に、最初は威圧されそうですが、彼が話し始めた時から、てきぱきしたもてなし上手と相対している状況に引き込まれて行きます。
幸運にも、彼のクラスの一つが価格設定についてプレゼンテーションを行うことになっていました。私は見学するように依頼されましたが、実際私にとってもそれは楽しみでした。急に見学することになったのですが、彼らは緊張を押しやって大人のように自分たちの仕事に取り組んでいました。(彼らのほとんどが20 代前半でした。あら!私にとってもたったの数年前でした。)彼らは英語でのビジネス・プレゼンテーションについてはまだ初心者だと考えられるので、当たり前ですがいくつかの間違いがありました。でもアランはフィードバックにサンドイッチ・アプローチを行うだけの経験がありました。(それが何なのか、初めて知りましたが、まず肯定的なフィードバックを与えて、その後否定的なもの、そしてもう一度肯定的なものを与えるというやり方です。)
もちろん、メインの田口敏行さんの話をしないでこの物語は終われません。彼がいなければ、この経験はあり得なかったのですから。DCECとウィンザーのタイアップは彼を通じて始まりました。彼は日本人の生徒さんに対する学習、レジャー、そしてロマンスまでサポートして絶大な人気を誇っています。彼はとても有能なビジネスマンで、たった2年間で日本人の生徒を2人から80人へと増やしていました。これは、履歴書に書ける経歴として立派なものです。
最後の訪問では、アランがまた、他のグループのプレゼンテーションのクラスの見学に誘ってくれました。今度のグループは、もっとしっかり準備ができていて自信も持っていました。彼らは、まるで国連での会議の様にほとんど全世界から来ていました。
私のウィンザーの経験をまとめると、オーストラリア人はフレンドリーで頭が良く寛容な人々だといえます。オーストラリア観光省は、ウィンザーの人々が私に好印象を与えてくれたことに感謝しなければなりませんね。
だっておかげでこれから、もっともっとオーストラリアへの訪問者が増える事を期待できるのですから。
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